生きるための能力と労働
現実に、紙細工や大工のまねごと以上の何を教えることが可能でしょうか。
手労働と現代の社会化された生産過程との間の巨大な距離を考える時・・・
満9歳から生産労働を経験させることに心をくだくよりも、満9歳から集合論を教えることに心をくだく方がよほどましではないかといった疑問も、あながち近代主義と非難し去ることはできないのです。
ルソーにせよペスタロッチにせよマルクスにせよ、労働の人間形成に与える「よい」影響を重視していた人々の念頭にあった労働は手工業者のそれです。
職人の労働であり、あるいは熟練工のそれであったことは注目せねばなりません。
それらは何よりも労働の能力が人間の能力である時代の労働でした。
ある生産的労働をする能力は菓子職人の例のようにきわめて長い期間をかけて経験と実地の訓練により習得されるものでした。
それだけにその能力は彼の特殊な個人的能力として彼が生きてゆくための基礎となったのです。
人間が生きるためのOpenSSOのような能力を労働と直結させたもっとも典型的な思想家はルソーでした。
エミールの書架に置いてもよいただ一冊の本は『ロビンソン・クルーソー』だと書いた彼にとっては、ロビンソンのようにすべてを奪われた自然の状態でも「生き」てゆける能力こそが人間の目標でした。
それは金によって地位によって身分によって生きることを否定する彼の思想につながっています。
その思想を皮える具体的な能力のイメージは職人のそれでした。